牛仙人のひとりごと: 気功・武術

2006年05月19日

気の組み手は

気をお互いに出し合って
ぶつけると一方の人が
後方に弾かれる。
わしの所では気の組み手と
言っている気の交換交流法だ。

人を気で飛ばすことを
売り物にしている流派があるが
これは誰にでもできることだ。

この稽古のいいところは
身体の奥に溜まっていて
なかなか独力では排出できない
疲れや熱を簡単に引き出すことが
できるという点だ。

気の修行のほとんどは自分ひとりで
行なうものである。
それには長所も短所もある。
とくにいけないのは気の偏りや
滞り、バランスの崩れだ。

それを解消できるのが他者との
気の触れ合いである気の組み手だ。
人は後方に弾かれながら
一気に身体が緩み、気が活性化するのを
確認できるのだ。
人間はやはり自分ひとりで生きているのでなく
他者によっても生かされているのだ。
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2006年04月11日

気を考えてみる

テレビで動物を眠らせる気の達人の
番組があったそうだ。
大学でその人の気の正体を
解明するというシーンも放送され
気に関心のある人がビデオをとったそうだ。
わしは見ていないのでなんともいえないが
気にはいろいろな性質があるので
動物を眠らせることくらい
できても不思議はないだろう。

ただスプーン曲げと同じように
それがどうしたのと思うだけだ。
太い鉄骨でも自在に曲げられれば
役に立つと思うが曲がったスプーンは
使えないからね。

動物を眠らせるという人の影響か
先日も日本テレビ系の番組制作会社が
来て、犬を眠らせるだとか何とか言ってきた。
気は万物の霊長まで進化してきた
人間にしか使えないものだ。

直接生存にかかわりのないことにも
働く心の作用は人間にしかないものだ。
気は心と深いつながりを持つ物質である。
出すことも入れることも
広げることも縮めることも
慣れれば自在にできるようになる。
気を使いこなすことは
人間にしかできない高等なことなのだ。

こうした気について
目に見えないものだからといって
そのはたらきの一部のみを取り上げるような
偏った見方をわしは否定する。
気は満月のようにバランスの取れたものとして
とらえ活用されるべきなのだ。

動物を眠らせるのが得意なら
動物園でストレスを抱えながら飼われている
かわいそうな動物たちをゆっくりと
安眠させてやればいいのだ。

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2006年02月16日

スワイショウについて

スワイショウは武術や気功の
基本功として知られている。
健康雑誌にも腕ブラブラ体操として
紹介されている。

スワイショウは病人にも安心してできる
数少ない功法の代表である。
そのため準備運動というような
とらえ方をしている人が多い。

しかしスワイショウこそ気の奥義に
通じる効果を持った練功法なのである。
スワイショウにはさまざまなやり方がある。
中でも代表的なのは前七後三のように
腕を前後に動かす方法と捻りのスワイショウであろう。

これらが気のパワーすなわち勁の発揮に
繋がるためには一般に行われているような
腕を振る形では駄目なのだ。

前七後三の場合は肩の高さから
腕を振り下ろすのではなく
吐息とともに腕の重さで落下させるように
練習しなければならない。
つまり力を抜いてストンと下に落とすのだ。

また捻りのスワイショウは腕を振り回すのではなく
ただ腕の力を抜いて下にたらしておくのだ。
その体勢から丹田(おへそ)を左右に捻るのだ。
すると身体の回転に引っ張られるようにして
腕は振られ身体に当たるようになる。
要するに腕は振るのでなく振られるのだ。

こうした点に注意して行っていくと
自然に勁が発揮できるようになる。
前七後三は敵の身体を上下に崩す技の練習になるし
捻りのスワイは丹田の回転力によって
敵をなぎ倒す技の基本になるのだ。

スワイショウを習ったことのある人は
少しやり方を変えてみないか。
力を抜いて練習するだけで
「以柔制剛」の柔軟力・神力を
身につけることができるぞ。



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2006年02月09日

超能力?それとも普通?

ある本にタバコや飲み物の味を
変えることができるのは
超能力だと書いてあった。
しかもその能力を人に分けるために
CDを発売しているんだと。

おいおい、食べ物や飲み物の味を
変えることは生きている人間なら
誰にでもできることだぞ。

ただやってみようとしないだけのことで
やる気になれば、すぐできるのさ。
ためしにコーヒーやジュースでやってみな。

見るだけでもできるのだが
はじめは5センチくらい離して
手のひらをグラスにいれた飲料に
向けるだけだ。

コーヒーはただの色つきのお湯のようになるし
ジュースは酸味が消えたり増したりするはずだ。
同じようにビールやウイスキーもできるし
食べ物だって簡単に味が変わる。

だからわしらは皆、超能力者なのさ。
それを超能力と呼ぶのならね。
誰にでもできることを
何でお金を払って教わる必要があるんだ?

まあ人の商売だから邪魔をする気はないけどね。
それより自分が意識するだけで
飲食物の味が変えられることに
気がつくといいことがあるぞ。

自分で作る料理の味が格段に良くなるのだ。
同じ材料を使っていても人の作ったものより
ずっと美味くなるんだ。
うそではないから試してごらん。



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2005年11月05日

単なる幻覚?

アメリカの研究所が出しているという
瞑想用の音楽CDを聞いた。
何でも特別な周波数の音を入れてあるという。

これを聞きながら瞑想すると
心の奥まで到達することができ
自分の前世の記憶や、死後を
体験したり、宇宙の果てまで行くことが
できるというのだ。

興味半分で聞いてみたが
何より気が動かない。
パワーのある音楽を聴くと
必ず気の反応があるものだが
このCDでは何も感じなかった。

たぶん影響があるのは脳とか
別の部分なのだろう。
このCDで瞑想すると内的宇宙を
案内してくれるガイドが現れるそうだ。

でもそれって瞑想中に良く見る
幻覚ではないだろうか。
この研究所では体験談も発表している。
それを読むということは
すでに同じ体験(疑似体験)を
していることなのだ。
人間の脳は時として不思議な働きをする。
読んだり聞いたりしたことによって
暗示にかかるのだ。

このCDで瞑想すると
他人と同じ類ではあるが
ちょっぴり自分色に変わった
体験をするというのは
それなんではないだろうか。
実際にやっている人に
話を聞いたわけではないから
断定はできない。
ただなんとなく?だ。

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2005年10月20日

鏡に映った自分に発勁

気はさまざまな性質を持っている。
その一つに光がある。

鏡に映った自分に発勁を行うと
その力が自分に帰ってきて面白い。
これは大型の良い鏡が登場した近代になってから
試してみた人がいたのだろう。
比較的新しいものだと思う。

わしは師傳からこの話を聞いたとき
「嘘だろう」とおもった。
鏡に発射した気が実際に自分に
影響を与えるなんて信じられなかったのだ。

香港でサウナに行ったとき、この話を
思い出してやってみた。
すると身体が浮き、後ろに吹っ飛んで
ロッカーに激突してしまった。

背中の痛さより先に、全身が総毛だつような
異様な感覚にびっくりした。

この間、これをうちの弟子にやらせてみたら
半分ができ、半分はできなかった。
発勁は無念無想、無心で行って
はじめて成功できる。

頭でアレコレ考えたり、感じようとすると
うまくいかないものだ。
だから無心になってただやるだけなのだ。

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2005年10月08日

N流と気功偏差について

人間のもっている潜在的なエネルギーは
とても大きいものだ。
誤ったやり方で気功やヨガなどを
続けていると、気が暴走して
思わぬ副作用が出る。

だから古来、修行は瓶から瓶へ
中身を移し変えるように丁寧に行われてきた。
しかしろくに知識も経験もない者が
いい加減なことをしていることがある。

その典型がN流呼吸法だ。
先日もそこに三年通ってひどい偏差に
陥って医者などに通っているが
一向に好転しないという人から相談を受けた。

偏差が出たとき指導員に相談したら
「三年続けなさい、そうすれば治る」という
あほなことをいわれたそうだ。
しかし症状は重くなるばかりで
結局そこをやめたのだが、通算五年も
苦しんでいるという。

ほかにもこのN流に通っていた
たくさんの人が偏差にかかり苦しんでいる。
一番軽い人の場合、気が上に上がって
コントロールできず、わずかな刺激にも反応してしまう。

馬鹿の壁を書いたおっさんも一時は
ここの広告塔だった。
N流さんよ、自分たちのやっていることを
よく検証したほうがいいぞ。
N氏が気の達人であるかのような
おかしなマインドコントロールはやめて
せめて練習の後には必ず収功を
念入りにやることだ。
そうでないと今後も偏差で苦しむ人を
量産してしまうぞ。
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2005年09月09日

変わっていく自分

内功(気功)の練習を始めると
ほとんどの人が自分が変わったことに気付く。
よく眠れるようになった、むくみが取れた、
冷えなくなったというようなことである。
これはそれまで体調がよくなかった人ほど
感じているようである。

そして練習を続けていくうちにさらに
体調は良くなっていく。
すると人間は忘れっぽいもので
以前の不調のことはすっかり忘れてしまう。
ここで一つの挫折の罠が待っている。
横から見ていると日に日に元気になっていくのが
よく分かるのにもかかわらず、本人は
なんか練習を続けていても変わんないなと考えるのである。

その結果、練習に参加しなくなることになる。
やがてまたもとの体調に落ち込んでしまうのである。
更なる飛躍を目の前にして、本当にもったいないことだ。

こうならないためには、変わっていく自分を確認するために
練習日誌あるいはメモでもいいから残しておいたほうがいい。

人間というものはストレートには
変わっていかない。
上向きの螺旋状に変わっていくものだ。
そのため練習の進路ではさまざまな考えが
浮かんできてしまう。
そんな時、状況をマイナスに取るのではなく
常にプラス思考で明るくとらえるほうがいいだろう。

落ち込みはこれ一度ではなく
その後も何度も繰り返してあるものだ。
だから修行を最終的に成就できる人はほんの一握りになる。
そこまで至らなくても、ある程度までのところへ
到達すれば世の中の
ほとんどのことはクリアできるものだ。
少なくてもそこまでいけるようにやってみよう。
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2005年08月29日

武道家と老化

先日、昔の仲間のところへ寄ったら
昔関係していたある防具付き空手の国際大会の
プログラムを見せられた。
わしの名前が大会顧問の欄に載っていた。

へえーまだ忘れられてなかったんだと
感心すると同時に主催者に感謝した。
まったくくだらないことで名前を使われるのは
いやなものだが、この団体はもう長く活動を
続けているところなのでちと嬉しかった。

そういえば二年位前に同じ大会を見に行ったことがあった。
十数年ぶりにあった昔の仲間は
今はもういい年だ。
初期メンバーの伊藤氏などはガンで死去したし
その他の人もほとんどが肥満や高血圧、
糖尿と加齢による不調を抱えていた。

一人が言った。
「もう昔のように体が動かないから口ばかりうるさくなって」
その言葉には実感があった。
実際、空手などの格闘技で年を取っても
衰えない人はほんの一握りにすぎない。
ある意味、天才的な人だ。
そのほかの大部分の人は年年歳歳衰えていくのだ。

そのときの仲間たちの様子を思い出していたら
わしの師傳(しふ)の教えてくれた
「練拳不練功 到老一場空」という言葉が浮かんできた。
言葉の意味は「拳の修行ばかりに熱中して、気の修行をしないと
年をとったら何も残らないよ」ということだ。
わしも気の修行をしていなければ、彼らと同じように
血圧や心臓を心配して生活していたはずだ。

昔と同じ、いや昔より動けるような身体を
持っていられること。
それは自分の努力と言うより師傳の教えの
おかげだと改めて感謝した。

その恩返しはわしと同じように加齢を
ものともしない人間を再生産していくことに尽きる。
これからますますしっかりやらなければと
自分に言い聞かせた。

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2005年08月24日

瞑想について

古来、偉人は皆、瞑想の習慣を持っていたといわれている。
瞑想によって心が静まると、インスピレーションが働くという。
歴史的な発明の多くがそこから生まれたらしい。

しかし瞑想は現代人にとって簡単ではない。
それは日常生活で受ける刺激が多すぎるからだ。
目をつぶって集中しようとすると次から次へと雑念が浮かぶ。
今日やり忘れたことを思い出す。
明日やらなければいけないことが気になる。
こんな調子で脳が休まるどころか、かえってストレスが増える。
そんな人が多いようだ。

それを防ぐため内功では気という実際の感覚に
注目して瞑想する小周天法などが用意されている。
しかし一般の人が指導を受けずに気を利用することは困難だ。

そこで一番手っ取り早いのが站椿功すなわち立禅だ。
これは腕や足に負荷をかけることによって
雑念を排除できる。
やり方はまず足を肩幅くらいに開いて立つ。
お尻を背の高いスツールにちょこんと乗せた感じで
膝の力をぬいておくのだ。
腕は大きな木を抱くような形で前に出しておく。
この姿勢のまま、鼻から呼吸を繰り返す。
目は閉じるか薄目の状態にしておく。

10分もすると肩や腕が辛くなる。
その辛さを感じ取ることでで雑念が排除されるのだ。
だから座っての瞑想が苦手の人にはお勧めだ。
気や血液の循環がよくなるのでやってみるといい。

ただこれは神経を興奮させるので
終わったら必ず身体全体を擦ったり軽く叩いて
沈静化する必要がある。
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2005年08月11日

遠当てが知りたい

先日、早稲田の秘伝研究会のメンバーが
練習を体験取材に来た。
なかなか素直なかわいい子達だった。

遠当てや発勁について、人は劇画の技のイメージが強いらしく
なかなかその真理に迫れない。
中国の達人が太極拳論などの中で
繰り返し述べているように発勁は「主他従己」「後に発して
先に立つ」ものである。
すなわち「後の先」が原則なのである。

人から攻撃されたとき、それに伴って伸張してくる
相手の気に対して技を仕掛けるのが発勁なのだ。

遠当ては相手の身体に触れずに倒したり飛ばしたりする。
この場合も原理は同じことだ。
相手(の気持)がこちらに向かってこなければ
遠当ては成立しないのだ。

よく気のパワーがすごいから云々と言われる。
しかしそれだけでは十分ではない。
相手もきちんと攻めてきてくれないとだめなのだ。
太極拳論にいうように、弓を引き絞って
相手の攻勢を待ち、程よいタイミングで矢を放つように気を発するのだ。

太鼓は強く叩くと大きくなる。弱い力では小さい音しか出ない。
遠当てや発勁もそれと同じで、攻撃(の意志)が
激しければ激しいほど強い力が生まれるのだ。
いくら自分で気を発しようとしても
相手に攻める意志がなければだめなのだ。
だからこれを「主他従己」というのだ。

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2005年08月04日

継続は力なり

先日、ボクシングをやっているという読者が
体験受講に来た。
ウエイトから言うとミドル級だという
なかなか立派な身体をしていた。

ボクシングというスポーツは手を主に使う。
確かにフットワークも重要視されるが技の中心は手にある。
終わってから練習はどうだったと聞くと
足が疲れたと言っていた。

わしらのやっていることは
まず腰から下の部分を使うことによって
重心を安定させ身体のバランスを改善することが第一だ。
その日来ていた女性たちが楽々とこなしていることを
この青年は肩に力が残って、うまくできなかった。

やはり何事も継続することが大切だ。
続けているうちに、格好も良くなり安定してくる。
身体も平行して丈夫になってくるから心が強くなる。

少しばかりかじって、わかったようなつもりになって
次の新しいことに飛びつくような人は最悪だ。
それこそアレコレ混ざって、悪いところだけが
強調されることになりかねない。

人間何かを学ぶ場合は、それを徹底的にやってみることが大切だ。
前にも書いたが、何か一つマスターしておけば
ほかの事を始めたとき上達が早い。
継続は力なのだ。
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2005年07月28日

一芸に秀でるということ

武術ばかりでなく、何事においても
徹底的に学び身に付けておくと
自分のやってきたことだけでなく
他のこともすぐにマスターできるようになる。

だから必要なのはあれこれかじることではなく
自分の目の前にあるものに専念することだ。

たとえばわしの例。
同門の出身地が中国広東省の肇慶(ちょうけい)というところだった。
そこに遊びに行って端渓硯という、いわば硯の王様に出会った。

中でも老坑水巌という穴から掘られた石を見たとき
その美しさに魅せられてしまった。
その後、何回も行くうちに
一目見るとその石がどの穴(坑)から掘られたものか
わかってしまうようになった。
これには硯工場の人間もびっくり。
「なんでわかる」と聞くから「自然にわかる」と答えると
首をひねっていた。

日本に帰ってから、ある若い人に「石とお話できるおじさん」と
形容され、なるほどそういう言い方もあったのかと感心した。

確かにわしが石を手に取るときは
眼で見ているのではないようだ。
たぶん石の持つエネルギーの良し悪しを感じ取っているのだ。
これができるのも気の修行のおかげだと思っている。

石ばかりでなく、異種格闘技の技も見ると
大体のコツはすぐつかめる。
今の世の中、何でも浅く広くだけど
自分が一流になろうと思ったら
とにかくとことん突き詰めてやってみたほうがいい。
それがゴールへの最短距離なのだ。

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2005年07月25日

また基本について、へぼゴルファー

先日、基本の大切さについて書いた。
基本とはすべての元であるということは
誰もがわかっていることだと思う。

しかしそれを頭だけでわかっていたのではだめなのだ。
必ず自分の身体にしっかりしみこませておかなくてはならない。
スポーツやダンスやエアロビなど
種目を問わずに、とことんやっている人にはこれが簡単だ。
一般の人は、自分が今どのように身体を動かしているのか
またどのように動かさなくてはならないのかが
自覚できないことが多い。

最も悪い点は教室では練習するが、家に帰るとやらないことである。
身体を動かすことでは、一般のスポーツでも内功(気功)でも
おなじなのだ。

みんなで一緒にやる練習では、動き方を覚えること
そして上手な人の動き方を観察することに意義がある。
しかしこれはほんの20%くらいのもので
80%は自分の一人練習が必要なのだ。

大体、動きの悪い人、いい加減な人はこの一人練習が
圧倒的に不足している。
繰り返し練習をして身体を動かしていると
自然と正しい動きができるようになるものだ。

知り合いにゴルフの理論ではすごい人がいる。
しかし実際コースに出ると、これがまったくだめなのだ。
まあたまにプロの中にも同じような人がいるから仕方ないのだが。

こうした人はまず身体の使い方が悪い。
身体全体が一つの組織として協調して動かないためだ。
基本的な身体の動かし方から直さないとスコアは伸びない。

平坦な練習場と異なりコースは変化に富んでいる。
手と足がバラバラの状態でそんな状況に
おかれると、身体の使い方のできていない人はまずだめだ。
如何にフォームが良かろうが、立つことすら安定していないのだから
ボールの飛ぶ方向が狂うのも当然だ。

また身体の使い方が悪いと心も安定しない。
だからここ一番の精神集中ができるわけがないのだ。

何をやるにしても具体的な知識やテクニックを覚える前に
まず基本的な身体作りを行うことが大切なのだ。

余談だが今週水曜日発行のメルマガ「気に親しむ」227号は
「心の闇を除く」、マイナス思考からの脱却法の特集だ。
暇があったら読んでね!
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2005年07月16日

不傳ということ

太極拳のある流派には十大不傳という規則がある。
「悪人には教えない」というようなもので、
10のタイプの人間を取りあげて
こういう人間には技を伝授してはならないというものだ。

これは拳術という攻防の技術だけに限ったものだと思う。
そこに気の要素が加わった場合、如何に素質があろうとも
邪まな者はあるレベル以上の力は獲得できない。

なぜなら気の力というものは、天地自然の力であり
公明正大なものである。
だから自分の利益のために気を使おうというような人は
本来の道から外れた考え方で自ら限界を設けているからだ。

気の修行、または気の武術は陰と陽、動と静など
あたかも対立しているように見えるものが
実は一体不離のものだということを知り
それを自分の中に反映していく作業である。

偏った考え方をしている人間は
この大調和にたどり着くことができない。
だからわしは何でも教える。
それを物にできるかどうかはその人間次第だからだ。

如何に知識をつけたところで、それを実践する基礎は
その人の人間性であるから邪まな者は何も獲得できない。
せいぜい丈夫な身体になるだけだ。
不傳をことさら謳わなくても、ちゃんとお天道様は
お見通しなのだ。

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2005年07月14日

スターウォーズから学ぶ

スターウォーズの新作が話題になっている。
アメリカ的正義感に東洋の神秘をミックスしたような内容。
この舞台が宇宙でなかったら、大駄作であったかもしれない。
ニューエイジャーを含めて西欧人の眼には東洋の伝統思想が
たまらなく神秘的で魅力的に映るらしい。

さてくだらないと考えている人もいるだろうが
このスターウォーズにもなかなか勉強になるところがある。

たとえばヨーダという登場人物(?)の言葉がそれだ。
沼に沈んだスターファイターを精神力で引き上げろと
ヨーダはルークに言う。
ルークは「試してみる」といって、精神を集中するが失敗する。
このときヨーダは自ら、やって見せてこう言う。
「やるかやらないかだ、試しなどいらない。
 信じなかったから失敗したのだ」

わしこのシーンを見たとき昔のことを
つい思い出してしまった。
わしの師傳も同じことを言った。
「世の中はやるかやらないかどちらかだ。やるのなら
 何も考えず前に進むことだ。」
ある日、師傳が棍(棒)を持ってこられた。
そして棍(棒)で腹を打たせてみろといった。弾という技法だ。
師兄の何人かが挑戦した。
続いてわしやその他数人がやってみた。

わしを含め何人かは成功し、あとは失敗した。
師傳はいわれた。
「自分と自分の功夫を信じないからできないのだ。
 自分の力を信頼できない者は、これまでいかに
 いい加減に修行していたのか反省しろ。
 日常の練習はすべて自分を全能の存在に高めるためのものだ。
 きちんとやってきていればなんで棍(棒)など
 恐れる必要がある。
 できるとかできないとか考えること自体、間違っている」

わしも勁を使うときは同じようなことを言う。
「うまくやろうと考えるな。ただ自然にやるだけだ。
 考えると気は動かなくなる。」

ヨーダの教えも一面の真理を持っているのだ。
よく見て拾い出してみると面白いかも。

実は今朝書いたものをアップしたつもりで
削除していた。仕方なくまた書き直した。

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posted by 牛仙人 at 17:53| Comment(1) | TrackBack(0) | 気功・武術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月12日

「はっけよい」の掛け声ってなんだ?

今年の東京の梅雨は変だ。
一日ものすごく暑いと、次の日は肌寒い。
気温の変化で体調を崩す人も多いことだろう。
お互い気をつけような。

さて国技である相撲もこのところ人気が下降する一方。
わしの友人の親方も相撲協会の役員だから頭が痛いとか。
外国人力士ばっかりが元気がいい。
日本の力士は単なるデブばかりで安定性がない。
この間、番付をもらったが見る気分にもなれない。
だって有望そうなのは外国人ばかりだもの。
相撲も国際的になったからいいやと考え方を変えるかな。
それにしても貴乃花があんな行動とっていると
相撲人気はまた一段と下がりそうだな。

さて相撲の行司が取り組み中に
「はっけよい、はっけよい」といっているが
これ何のことかわかるかい?
ある人に聞いたら「八卦良い」じゃないですかという答え。

違う!違うのだ。
あれは「発気揚揚」といっているのだ。
相撲も元はといえば気の武術だったのだ。
だから伝統的な稽古法は「鉄砲」にしても
気の修行そっくりだ。
したがって力士の身体も筋肉も柔軟であった。

しかしいつころからか科学的トレーニングとやらが
取り入れられ、力士が硬い筋肉をつけるようになった。
それから怪我をするものが増えてしまったのだ。

昔、双葉山というすごい横綱がいた。
その連勝記録はいまだに破られていない。
わしもリアルタイムで見たわけではないが
記録映画でその相撲を見た。

大鵬や北の湖も強かったし、今の朝青龍も強い。
しかし双葉山の強さはちょっと桁外れだ。
というより人間業ではないといったほうがいいかな。

彼の相撲は単なる力ではなく勁だ。
仏教の熱心な信者であり、滝行をしょっちゅう行っていたらしい。
双葉山の映像を見てあらためて相撲は
気の武術だなと納得できる気がした。

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2005年07月08日

基本の大切さ

ロンドンで同時多発テロがあった。
根本にある宗教問題、そして民族、政治の問題。
テロは許さないとする西欧列強。
一方で英米に対しての直接攻撃だと喜ぶイスラム世界の民衆。
憎悪の連鎖はどこまで続くことやら。

さて話は変わって基礎訓練の大切さというお話。
わしちょっとしたことで左の足首を痛めた。
捻挫のようでもあり、打撲のようでもある。
とにかく左足の踏ん張りが利かない。
それをかばっていたら腰がだるくなった。

そこでわしのしたことは何だと思う。
それはいつもより長く歩くこと。
ゆっくりと普段の三倍くらいの距離を歩いた。
するといつの間にか痛みは消えた。

先人の残してくれた基本は本当に大切だ。
わしの師傳(しふ)は功夫(功法の練習)に
無駄なことはひとつもないと言われた。
そのとおりだと思う。

スワイショウにしても
皆、単なる準備体操のようにとらえがちだ。
しかしそこには必勝の技に通ずる動きが含まれている。
この動き、丹田の動かし方を習得すれば百戦百勝になれる。

とかく武術を志すものは基本功をないがしろにし
突き蹴りの技にばかりとらわれている。
それは実は大きな間違いなのだ。

武道武術の真髄は単純な基本の中にこそ
隠されているものなのだ。
人はとにかく派手な技に魅かれる。
しかしそれは基本功という基礎があってはじめて
有効なものになるのである。


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2005年07月01日

スターウォーズから学ぶ

スターウォーズという映画が人気になっている。
その中でフォースという力の使い手は
日本、中国、韓国をごちゃ混ぜにしたような服装をしている。

いかにも西欧人的な武道や禅のとらえ方で
マスターは真理を語る。
舞台が宇宙であるため物語としては粗雑だ。
だから好きな人も多い代わりに
あほらしくて見ていられないという人もいる。

まあそう馬鹿にするなかれ。
たまに的を得たいいこともいているのだ。

ヨーダのところで修行しているとき
ルークは沼に沈んだスターファイターを
精神の力で引き上げてみろといわれる。

しかしルークはそんなことは不可能だと思っているので
「やってみろ」といわれると「じゃあ試してみる」という。
ルークは精神を集中しやってみるが、うまくいかない。
するとヨーダがいとも簡単に引き上げてしまう。

驚いているルークにヨーダは言う。
「やるかやらないかだけだ。試しなんか要らない。
 信じないから失敗したのだ」

なるほど。わしもよく師傳に同じことを言われたし
わし自身も言う。
ある時、師傳が棍(棒)を持ってこられた。
そしてこの棍で腹を打たせてみろといわれた。

師兄のうちの何人かが挑戦し、打ちかかってきた相手を
腹で弾き飛ばした。
長く太極拳をやっていた師兄は、しり込みしてやらなかった。
わしも指名されてやってみた。
何も考えず、ただ息を大きく吐けといわれた。
そのとおりやったら見事成功。

そのあとも何人かがやってみた。成功した人もいれば
だめだった人もいる。
そのあと、師傳はいわれた。
「何も無理なことをさせているのではない。
みんな日頃の訓練で打たれても突かれても平気な体ができている。
問題は自分の力を信じることだけ。
自分自身に対する信頼がないからうまくいかないのだ。
われわれの前にはやるかやらないか、二つの選択肢しかないのだ。
決断の必要のあるときに迷うからだめなのだ。
当然できるはずのことができないというのは
はじめからできるはずがないと思い込んでいるからだ」

なっ!ヨーダの言うことに似ているだろう。
何事もそれまでにやるべきことをやっていたら
あとは「ただやるだけ」なのだ。

スターウォーズも見るべきところをみると
勉強になるね。

それはそうと昨日はブログをサボってしまった。
たまにはいいね。




posted by 牛仙人 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 気功・武術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月27日

うわっ!大物!発勁を生かさなきゃ

わし、昨日また釣りに行った。
釣り場は住宅街の真ん中にある小さな調整池。
これまで釣れるのは65センチくらいの鯉が最大で
平均5、60センチくらいのものが多かった。

しかし最近、15号の針がいとも簡単に切られてしまうことが多くなった。
昨日も二本切られた。その切られ方がまたすごい。
食いついた瞬間にグーッと引かれるので
それに合わせるとプツッと切られるのだ。

そこでゆっくり走らせるようにした。
巻いては緩め、巻いては緩めして約10分。
ようやく手元までひきつけた。しかし・・・
でかすぎてたもに入らない!

湧き水の導入用の溝に引っ張り込んで
抱くようにして上げた。
大きさは90センチ強あった。
10分も苦労していると見物人が集まり
皆、拍手喝采。しかしこちらはもう一杯一杯。
針をはずしてリリースしたらぐったりしてしまった。

少し休んでまた入れるとすぐかかった。
これもなかなか力があったが、前よりずっと楽。
あげてみると72センチあった。

まえはこんな大物はいなかったのだが
川が増水したときに入り込んだのだろう。
相手が水の中にいて姿が見えないので
糸にかかる感触で対処しなければならない。

ここで生きるのが発勁の心得だ。
相手の力に対して力で応じると力の勝負になる。
すると一番の弱点、糸に負担がかかって切られるのだ。

剛に対しては柔で対応しなければならない。
また相手の力を利用し、あるときはそらし
あるときはそれに便乗していくのだ。

この主他従己、臨機応変、因敵変化の気持ちがあれば
どんなときにも何とか対応できるものだ。
発勁の基本について知りたい人は
わしの作ったDVDを見てくれ。
詳しくはhttp://www.fresca.co.jp/ki/
説明が載っているから一読を。





posted by 牛仙人 at 13:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 気功・武術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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